山西 きよ(享年87歳)元旧小川町長。
戦後初の女性町長であり、
百里基地闘争のシンボル的存在。
1998/9/12茨城新聞一面より
20世紀茨城の群像/
時代を彩った人たち
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平和への思い、人一倍強く
「反対運動のシンボル的存在」母親の立場から立ち上がる
基地闘争にささげた半生 山西きよ
「百里基地 つくらむがために 犯したる
罪の類の いかに多きを」
1988年12月6日、最高裁第3小法廷で開かれた百里基地訴訟上告審の口頭弁論で、上告人として意見陳述した百里基地反対派のリーダー、山西きよは自らの闘いの歴史を歌に託し、胸の内に秘めた積年の思いを司法の最高機関の場でぶつけた。山西79歳、58年の提訴から30年目の大舞台だった。
56年、防衛庁が東茨城郡小川町百里の開拓地に基地建設を計画した。この時から山西の基地反対の闘いが始まる。「母は弟を戦争で亡くしており、平和への思いは人一倍強かった。子供達を戦場に送ってはならない、平和のために闘うというのが口癖だった。」山西の長男、庸義(61)が闘う母の姿を振り返る。
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